2010/01/25

AVATAR

川崎109シネマズで、IMAXの吹き替えでアバターを観てきました。
会場はかなりの入り。エントランスには次回以降、売り切れの張り紙も。

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3D映画として素晴らしいできだという噂を聴いていたので、
せっかくなら、と川崎のIMAXシアターで吹き替え版で観てきました。

感想書こうと思ったけど、もはや今週も時間切れ。
少しづつ追記していこうかな…。
ちょっとだけ…アバターは自身の鏡、のはずが主人公がどんどん現実に愛想を尽かして逃避していくように(しか)見えなくて、パンドラが主人公にとっての最も身近な逃げ場所のような気がしてしまった。人間への、(少なくとも大佐に従っているだけの)兵士たちへの殺害に葛藤とか、もすこし感じてもいいんじゃないかな。

追記 100126
かなりジブリ映画の影響を受けているシーンが多いような気がした。
動物と心を通わせるための触手は、ナウシカのオームの触手のような、
森で生きる人々が主人公なのも宮崎駿っぽい気が。
最初はもののけ姫みたいだと思っていたけど、だんだん平成たぬき合戦ぽんぽこに似てると思うようになっていった。
雰囲気としては、もののけ姫っぽいのに、なんでぽんぽこを思い浮かべるんだろうと思っていたけど、今日になってはたと思いついた。

人間対たぬき、人間対ナヴィというシンプルな対立が似ているのかな、と。
もののけ姫は、たたら場対もののけ、そして両者をつなぐものとしてアシタカがいて、
観客の視座が確保されているけど、ぽんぽことアバターはそういう第三者的な立場の人がいないんじゃないかと。
両方とも、だから、個人的には最後までどちらかに強く感情移入ができなかった、というのは少し残念。

あと、細かいけど、
アバターが仮にも生き物として作られているなら、活動をつづけるうちに、
脳が自立して活動しはじめて、ある程度単なる器として以上のものになりはじめる——
という描写があっても良かった気がする。
でないと、ラストのドコドンダンスであっけなく転生することに説得力がないような。
テクノロジーでアバターを器として制限していた(もしくは、ソウルを移し得なかった)限界やリミッターが、パンドラの生命力が超えさせた!という感動がなかった。

いや、面白かったんですが。
こういう瑣末なことを誰かと話せると、映画を観たって気になるんです。
自分としては。

2010/01/06

あけましておめでとうございます。

今年こそはいい年になりますように。
このブログが誰かに見られてるのか見られてないのか、
それすらも分かってませんが、ありがとう。僕も頑張ります。

2010

2009/12/24

Smokin' Aces

ちょっと前に見た。
イカれたキャラクター勢揃いで、テンポよく進むかと思いきや、中盤でちょっとだれるのが残念。
死体発見してまごまごしてたら、撃たれて退場とか…。ドンパチ始めるための口実にされただけでは…。
でも、何人かのプロの手口の描写はじっくり丁寧で楽しめました。
マフィア気取りのマジシャン、バディ・イズラエルの演技はすごく良かった。ジェレミー・ピヴェン。他の作品も見たいけど、未見で気になるのはブラック・ホーク・ダウンかな。

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2009/11/10

Rakugaki of the day.

やたらof the dayシリーズを作ってしまってどうにもならん。今日はやりきれん気持ちを抱えていられないから、落書きした。
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2009/11/04

マイケル・ジャクソン「This is it」

マイケル・ジャクソンの最後のライブのリハーサル映像を映画化した「This is it」を観てきた。

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http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/

祝日前日の深夜1時50分からの回。帰れなくなった人も多かったと思うけど、カップルでわざわざ来た、って人も多かったような印象。

彼のステージにかける情熱や、素晴らしいパフォーマンスをたっぷり見せてくれた約2時間。大きいスクリーンと、低音が振動として伝わってくる映画館で観てこそ。
自宅のテレビじゃ、どう頑張ってもライブを前列で観ているかのような臨場感は出せないし、基本的に曲を次々聴かせる構成になっているから自宅じゃ興味が持続しないと思う。ファンならいけそうだけど、ファンなら映画館行ってるだろうし。

観ているうちに、むかし録画した衛星放送のマイケルPV特集をしょっちゅう観てたことを思い出した。いつの間にか、ゴシップにうんざりしたり、いろんなことに興味を持ち始めたりして、テレビで彼が報道されても何とも思わなくなっていた。
でも、気づいたら手と足でリズムをとって、笑顔でスクリーンを眺めていた。上映終了後には拍手も起きた。きっとみんな、素晴らしい人を亡くしたなあと思っていたんだろう。

でも、この映画が上映された一番のキッカケである、マイケルの死には全く言及されず、最終的には彼の「みんなで地球を救おう」というメッセージに焦点があてられるのは違和感がある。
そんな、誰にでも受け入れられそうな、一般的なメッセージにしなくても、彼の音楽とダンスとは永遠に失われた、せめて最後にみんなで見よう、惜しもう、でいいんじゃないだろうか。
最後の地球とともにメッセージが出てくるシーンは、教科書に載ったWe Are The Worldみたいだ。歌で伝えようとしたメッセージが急に美談という型になってしまうと思う。

とまれ、リハーサル映像ならではの舞台裏のあれこれも興味深くて楽しかった。バックダンサーのひとりにディレクターが「それがアドレナリンだよ、ベイビー」なんて声をかけたり…、そんなセリフ、デスクワークじゃ絶対使わない。
彼の衣装担当の話とか、科学者たちも参加した最先端の挑戦的な衣装なんだって!個人的には、あの衣装のセレクトや、指のテーピングとかの謎を解明して欲しいんだけど…。エピソードとかあるのかなぁ。

あ、最後に。
上映開始直後に「ポゥ!」って叫びがあったんですが、てっきり酔っぱらいがふざけて叫んだんだと思ってましたが…。もしかして演出?

2009/10/22

ウブスナ

今では考えられない、出産の儀式。結局、予約が取れなくて見られなかったけど、直島の「きんざ」を思い浮かべた。
インターネットも、音楽もない静かな空間で、海から取ってきた砂の上で過ごす空間はどんなだったろう。
直島の「南寺」で、ぼんやりとした光を一生懸命知覚しようとした。産屋に砂を持ち込んだ人も、海の持っているいのちの光を感じたかったのかもしれないと思った。

 谷川はあるとき、敦賀湾に面した常宮(じょうぐう)という海村で、ある老人から自分の子供3人を集落の産屋(うぶや)で生ませたという話を聞いた。
 産屋は屋敷の片隅にあって、隣りには煮炊き用の竈(かまど)がしつらえてある。産気づいた妊婦がそこに入ってから出産まですることはよくある光景なのだが、この地の習慣では母子は赤児が生まれてからも、その部屋を出ない。それが1カ月も続く。そこまで母子が時をすごす産屋はどんな部屋なのかと聞いてみると、その産屋には畳がなく、海から採ってきた砂を敷いてあるという。その上に藁を敷きつめ、筵(むしろ)を重ね、いちばん上に茣蓙(ござ)を置く。しかし妊婦が代わるたびに、砂はすっかり取り替えるらしい。そこで谷川が、「砂まで変えるんですか」と尋ねると、「ウブスナだからね」と言ったというのだ。

『常世論』谷川健一 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1322.html