2009/10/22

ウブスナ

今では考えられない、出産の儀式。結局、予約が取れなくて見られなかったけど、直島の「きんざ」を思い浮かべた。
インターネットも、音楽もない静かな空間で、海から取ってきた砂の上で過ごす空間はどんなだったろう。
直島の「南寺」で、ぼんやりとした光を一生懸命知覚しようとした。産屋に砂を持ち込んだ人も、海の持っているいのちの光を感じたかったのかもしれないと思った。

 谷川はあるとき、敦賀湾に面した常宮(じょうぐう)という海村で、ある老人から自分の子供3人を集落の産屋(うぶや)で生ませたという話を聞いた。
 産屋は屋敷の片隅にあって、隣りには煮炊き用の竈(かまど)がしつらえてある。産気づいた妊婦がそこに入ってから出産まですることはよくある光景なのだが、この地の習慣では母子は赤児が生まれてからも、その部屋を出ない。それが1カ月も続く。そこまで母子が時をすごす産屋はどんな部屋なのかと聞いてみると、その産屋には畳がなく、海から採ってきた砂を敷いてあるという。その上に藁を敷きつめ、筵(むしろ)を重ね、いちばん上に茣蓙(ござ)を置く。しかし妊婦が代わるたびに、砂はすっかり取り替えるらしい。そこで谷川が、「砂まで変えるんですか」と尋ねると、「ウブスナだからね」と言ったというのだ。

『常世論』谷川健一 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1322.html

2009/10/16

コーヒーで集合!装置

コーヒーの香りで、自動的にチームを集合させる装置。
うーん、すごく素晴らしいアイディアだと思うけど、淹れたコーヒーがあんまり美味しそうに見えないのが残念。
ハンドドリップして、スイッチ押す、くらいの半自動化がちょうどいい気がする。













MAKE: Japan : Melting Pot: コーヒーの香りでチームを招集

WORD OF THE DAY 14.

このあいだ直島に行って、枯れたタバコ屋のおじいさんに、「もしもし」と声を掛けられた。
妖怪に行き会ったら、こんな感じなのかと思った。
と、ここでアダム・カバットさんからの豆知識。落語でも、化け物に怯えて「ももんがぁ〜、かなんか言われて食べられちまう」なんてセリフがあった。

モモンガはリス科の小動物。前足と後ろ足の間に発達した毛皮のマントで、夜の森を滑空します。
ところで、この「ももんが」あるいは「ももんがあ」という言葉、不思議な響きの言葉と思いませんか。調べてみると、あまり良いイメージで使われた様子はありません。江戸時代には、両手をパッと広げて子供をおどかす仕草・遊びであったことや、人をののしる言葉であったことが、『広辞苑』に載っています。また草双紙(江戸時代のマンガ本?)の研究家によると、ももんがあ(ももんが)
は化け物の親玉として「見越入道」と化け物界を二分し、その覇権を争っていたそうです。
アダム・カバット『ももんがあ対見越入道』講談社


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2009/10/08

「 亀井勝一郎『読書に関する七つの意見』。読書指南書としていまも欠かせない有名な1冊。」そのうち読みたい。その七つとは、
①読書は「自分の中の語り部」に気がつくということ、②書物の洪水のなかで困っているときは「思想の源泉」になるべきものを見いだすこと、③そのうえで「自分の原典」を発見すること、④読書こそ人間にとって最も純粋な時間を提供するものだろうということ、⑤読書は「感覚の訓練」であって「人生の批評」でありうべきこと、⑥読書には必ず「害」もつきまとうこと、⑦すべからく読書人は「老いたファウスト」に向かうのであろうこと
『書物の達人』池谷伊佐夫 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
最近、小説を読んでない。本当に好きな本は、じっくり読めるときまでとってあるし。うーん、何読もう。あ、読む暇なかった。

2009/10/06

思考方法をアップデートするために、なにかしら自分にあった方法を考えないといけないなぁ。
進行中の作業や発想に、それをさらに進めるうえでの発想モデルや思考モデルが自分には“ない”ことに気がつく。これは自分の発想力や企画力や思考力に展望性や可塑性がないということだから、がっかりしてしまうこともある。しかし、がっかりしているのではまずい。なぜなら、自分に発想モデルや思考モデルがないということは、いいかえれば、ここが肝心なのだが、そこに「欠けたモデル」があったことに気がつけばいいということなのだ。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1304.html

2009/10/05

MITの鉄道模型クラブTMRC(ティーマーク)。
「ここには列車は10ポンドぶんしかないが、歴史のほうは50ポンドぶんもある」。
真夜中になると、ぞくぞくとクラブに人がおしよせてくる。そして、リレーの接続を変更し、列車がトンネルに入ったまま出てこないようにして、消え失せたような錯覚をあたえるとか、レールや部屋全体から妙な音が出るようにするといった仕掛けをつくって、仲間を面白がらせようとする(こうしたことは「ハック」と呼ばれ、このことばはやがて大いにひろまることになる)。
フレッド・ハプグッド「マサチューセッツ工科大学」