2009/04/09

久しぶりに書く/WORD OF THE DAY 7.

まあ、元気にやっては、いたわけで。いろいろなことがありました。

TBS「落語研究会」という番組を発見。毎回一人の噺家にスポットを当てて研究者のコメントなども織り交ぜつつじっくり聞こうという番組。

前回は、柳亭市馬「蒟蒻問答」。
とんちんかんな問答のことを蒟蒻問答といったところから、それにかけて創作された噺だそう。
Yahoo辞書では、
《にわか住職になったこんにゃく屋の主人が旅僧に禅問答をしかけられ、口もきけず耳も聞こえないふりをしていると、旅僧は無言の行(ぎょう)ととりちがえ、敬服するという筋の落語の題名から》とんちんかんな問答。また、見当はずれの応答。

成立の順序が逆ですね。

サゲの内容が身振りぬきでは表現できないので、ラジオではまずかからない話だそう。
音メディアで落語に触れることがほとんどの身には新鮮で貴重だった。

禅問答つながりで、また臨済録を読み直す。
小説も映画も絵画も、本当に面白いものは理解不能な部分が3割あるものだと思う。
自分に体力がなければ、100%明快なマーベルコミックス原作ハリウッド映画しか受け付けられないけど。
でも、臨済録は7割理解不能。ただ、その中で繰り返し説かれるメッセージが心を打つ。
 諸君、まともでありたいならば、疑念を起こしてはならぬ。拡げれば宇宙いっぱいに充ち溢れ、収めれば髪の毛一本立てる隙もない、明々白々として自立し、いまだかつて欠けたことはない。眼にも見えず、耳にも聞こえない。さてそれを何と呼ぶか。『それと言いとめたらもう的はずれ』と古人は言った。君たち、ただ自分の目で見て取れ。これ以上何があろう。いくら説いてもきりはない。各自しっかりやってくれ。どうもご苦労だった。
——「臨済録」入矢義高訳注、岩波文庫

勇気づけてくれてありがとう。でも、人はそれぞれなので、デザイナーとして頑張ります。

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