2010/07/20

この大きなうねり

この大きなうねりの中で、わたしたちは表現とは何か、書物/読み物を作る・読むとはどういうことか、新しいメディアにふさわしい表現技法とは何か、といった根本的な課題をもう一度考え直すことになるのだろう。そして、紙にこだわる人も、最先端の流れに乗っていく人も、新しい世界を見つめることになる。

電子書籍は波紋を生む「一石」となる « マガジン航[kɔː]


電子書籍のことが話題になるたびに、
例えばKindleなり、iPadなりのデバイスを手に入れられない人は、どうなるのか、
例えば両親の書棚から、レーティングがあったら読めないような本を見つけたり、
例えば古書店で、星の数ほどある本がそれぞれのドラマを経て棚をかたちづくっているのを見て運命を感じたり、
そういうものがどうなるのかがあまり語られていない気がして仕方がなかった。

もちろん、個人として(そして雑誌、それに類するものを扱う会社の社員として)すごく興味もあるし関わっていきたいと思っているのだけど、完全に肯定できない部分を語るのが懐古趣味的なネガティブなことに思えてしまっていたのだけど、

電子書籍に関心がある人と、電子書籍がいやという人との対話によって、新しい時代が作られると思う――と樺山さんは語る。


こういう意見を聞くと、すごく前向きないい気持ちになる。ともかく、時代は変わる。紙の本は消えるかもしれないけど、書き手と読者は常にいる。そして、それをつなぐ人も。

なるほどな、と思った「紙の本」の特性についていくつかメモ。

文庫本・新書版では、適切な大きさの文字で、見開き平均約1分間で読めるという特性がある。このように、書物というのは大変な発明だった(「マガジン航」掲載の津野海太郎「書物史の第三の革命」を参照)。


RSSリーダーで興味深い記事を見つけても、文字が小さすぎたり、行長が長すぎたりしてとても読めないことが多い。デジタルで「読む」ことがこんな不便を伴ったままでいいのか、と思うけど。これはソフトが解決するものなのかな。

紙のマンガでは、見開きになっているのが普通である。そして、たとえば登場人物が扉を開くシーンは、見開きの最後のコマに置くというようなテクニックがある。そうすると、登場人物と一緒に読者もページを「めくる」という作業が行なわれる。


Kindleとか、iPadでミステリを読んでみたい。ページをめくることと、物語が展開していくことはけっこう密接につながっている気がする。

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