2008/11/02

切実なもの、そうでないもの

最近、よく読むnarajin.netというブログ。闘病記というか、日々のこと、音楽と本のことなどを書いていて、とても引き込まれる。
そのブログで最近、音楽療法士との関わりを紹介した「音楽療法士からの質問状3『「寝たきりになってからまた再開したのは?」』、その文章が胸を打つ。

廃用症候群で完全介護となった我が身にとって、自分の自由になることは考えることと、音楽をきくことしかない。このまま死んでいくにしても、最後まで人間らしくありたかった。体はぜんぶ他人の世話になっても、心とアタマだけは誰の手にもわたさないという、やせ我慢というか、意地がありました。自分の頭で考え、言葉にして表現するのはとてもしんどいけれど、それ以上に生きている実感をもたらしてくれる。爪は剥がれ落ち、ギターを弾く握力が奪われても、まだまだできることはあるんじゃないか。

このとき「音楽」というものが、それまで考えていたよりも自分にとってかなり切実で本質的なものであることを悟りました。自分がもういちど生きはじめるため、もういちど家に帰るために音楽療法をやり直してみようと決心したのです。

いろいろな物事を、切実なもの、そうでないものという風に二分化して考えてしまう癖がある。しょっちゅう、大災害の東京で自分の職能(コンピュータを使って本が作れる)という能力がどれほど役に立つのかと考える。
デザインは、自分にとっては切実だ。毎日そのことで悩み、考えている。だが、他の人にとっては? 生きていくことがほとんどの人にとって最重要課題である時に、エディトリアルデザインがどれほどのモノかと。
それでも、美しいモノを見たり、食い物代わりに活字を追ったり、新しい考え方に触れることで生きること以上の生きる楽しみを味わいたいんだ。少なくとも自分は。で、そういう楽しみを供給できるようになりたいと思ってるんだけど、難しいんだこれが。

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